本殿・幣殿・拝殿などの中心的建物をはじめとして附属する舞殿・手水舎等に至る一切の神社の建物の総称
【御本殿】
神社の建物の中で最も重要なもので、神靈の鎮まります「神殿」
【幣殿】
御幣を奉り、又は献上物を置いたりする建物で、本殿と拝殿の間にある。
単に幣帛を奉るだけでなく、祭祀用の空間としても使われる。
【拝殿】
正式参拝やご祈祷、それに神社の祭儀の際に参列者が参列する建物
【神饌所(しんせんじょ)】
神饌(神へ供える飲食物)を調理し又は弁備する所。
神饌所は独立して建てられたものと、
拝殿に接続して設けられたものがある。神明社にあっては、後者である。
例祭など神社の大きな祭りの際等に、神慮を慰めるために神前に奉納する「神楽」を奏でたり、
舞ったりする建物。舞殿ともいう。ここ神明社では、例祭前後の土曜日または日曜日に奉納演芸会が催される。
拝殿の正面に位置し、例祭の折には、「神明社お囃子保存会」によるお囃子が奉納されている。
地域有志の方々により、例祭では搗いた餅を、
正月には甘酒が神賑行事として参拝者に振舞われる。
神社社殿前に置かれた一対の獅子形の像。「高麗犬」「胡麻犬」とも表記する。材質は石。
一対の関係は雌雄が代表的である。一方が口を開け、他方が閉じるという、いわゆる「阿吽(あうん)」
のものが一般的である。その起源は埃及(えじぷと)・波斯(ぺるしゃ)・印度(いんど)にあるとされ、
中国・朝鮮を経てわが国に伝来したものである。邪を退け、神前守護の意味を持つとされる。
神明社のものは、大正三年に建立された。
神明鳥居をくぐり参道階段の傍らに、ほぼ完全な姿をした七観音がある。
配列が建立された時と変わっているのか、又もとから神明社にあったのはか判明しないが、
向かって右より、馬頭、不空、羂策、千手、聖、如意輪、十一面、准胝、と思われる。
仏様の顔の状態からすると、また一般の石仏にも言えることだが、儀軌(仏像を制作する際の約束事)
に忠実ではないようだ。それ故に、仏像名の判断が難しく、各像の観音名の決定には、更なる
考えを要すると思われる。……参考文献「港南の歴史」
日露戦争・大東亜戦争戦歿者の碑(昭和27年4月9日建立)
*毎年、例祭斎行後、「戦歿者慰霊祭」を斎行。
その外、「不動明王像」「堅牢地神塔」文政9年(1826年)
「道祖神<多体仏>」天保7年(1836年)、
「西南戦歿軍人之碑」明治12年(1879年)
などの石造物がある。
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